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星寿美(山下寿美)さんから本を紹介され読んだ(2009年09月23日 07:07)
父との関係を修繕するために本を読み始めた。
つい先日まで父との関係は修繕されていると思っていた。
が、とても根が深いことを知る。
その知るきっかけをくれたのは、星寿美(山下寿美)さん。
順に私が読み、参考にして実践していった本は以下の通り。
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酒、酒、酒に溺れた父(2005年01月23日 07:10)
まだ、広告が私の欲しい広告じゃない。
トップページは翌日には投稿した内容で替わっているのに・・・
私の父(亡くなっている)のことを書いたページの広告スポンサー希望は酒の通販サイトかアルコール依存関係の広告(そんなの無いか〜)、心系のサイトの広告が希望だ。
まだ、私にとって嫌な広告になっている。
と言うことで神様が父のことをもっと書けと言うプラス思考で考えてみて書いてみよう。
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酒を飲みつづけた父(2005年01月20日 03:00)
今は亡くなってしまった父のことである。
アルコール依存であった。本人なりに依存から脱却しようとして努力はした。が、周りがそれを支える(アルコール依存から抜ける為の)支援をしなかった。できなかった。ためにアルコール依存のまま亡くなってしまった。
まず、酒を買って来いと言うと母がなだめる為に買いに行った。我が家は生活保護?(ちょっと良くわからないが)を受けていた。父が働かない(働けない)からだ。
私は小さい時からその生活があたりまえだったので、父の姿は酒を飲んでいる時か病院に入れられて見舞いに行った時の印象が強い。勿論、飲まない時(自らの意思で断酒を続けて)もある。その時の記憶としては寒い冬に父と一緒に海岸(歩いて10分程度:千里浜海岸:ちりはまかいがん)に行き、貝を拾ったり、焚き火をした記憶だ。ある意味楽しい(嬉しい)記憶だ。
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アルコール依存症の父 入退院していた父(2005年01月20日 02:47)
ブログを初めて半年。もっともっと父のことが書けると思っていた。
投稿件数は319件目。父に関しての投稿は3件目。全然、少ない。
ちょっと寂しい気持ちだ。
また、ここでは書かないが違う意味でも寂しい思いをしたので父のことを書こうと思う。
お坊ちゃまとして育った父は何もできない子になっていたらしい。何もできない理由は家族が皆助けたから。凄まじい愛に覆われていたのだと思う。ある意味可愛そうだ。
その愛に応えるかのように何もしないまま生涯を閉じた。酒に溺れた。
私は父を愛している。多分・・・。
生んでいただいたことに感謝をしている。だってここに今、生きているから・・・
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父の働いていた姿(2004年10月07日 19:56)
父が働いていた先はいくつかある。と言うより、私が覚えていることしか書けない。
父は転々と職を変えていたと思われる。
私が小学校の2、3年生の時に地元の市役所のゴミ清掃車に乗ってゴミを集めている仕事をしている時に学校でごみ焼却炉の見学に行った時にその時に隣にいた同級生の女の子にいばってこのゴミ清掃の仕事をしていると言ったことを覚えている。多分半年もしないうちに辞めている。
良く続いたのは工場の作業員。鋳物を作る工場で働いていて、一度だけその工場に用事があって行ったことは覚えている。おぼろげに作業着でいたのを覚えている。この鋳物工場は数年はいたはずだ。
私が覚えているのはこれぐらい。後は病院で暮らしている父と自宅でいる父ぐらい。
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アルコール依存の父親と暮らして(過去の話)(2004年09月30日 11:40)
小さい時から父親は酒飲みだった。酒を飲みに出かけているか、家で飲
むか寝ているか、又は病院に入院をしているかだった。
私は父親が入院していない時は、学校から家に帰って父親がどんな常態
かが一番気になることだった。ある意味いたら一安心。
何故っていなかったら、電話がかかってくる。近くの酒屋から引き取り
に来てくれであったり、道端で寝ているであったり、警察から、病院か
ら怪我をした。だったり・・・
チョー悲惨よ悲惨。笑
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