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私のコンサルタントとしてのバイブル書を紹介しておく(2004年09月30日 21:44)
14年前にある公認会計士の先生より紹介を受けた本を紹介しておく。本の名前は「コンサルティングの秘密」と言う。作者はワインバーグ氏
私自身がパソコン指導価格を決めるとき、お客様との折衝する心構えを学んだ。
←←本の画像クリックで本の購入がアマゾンからできます。
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Googleアドセンスから小切手が届く(4回目)(2004年09月30日 18:52)
嬉しい。
自分がボランティアでやってきた分が報酬としていただける
ことがやりがいにもなるし、もっとがんばろうと言った気に
なる。
私の小切手の現金化の方法を残しておく。
地元の銀行(自分の通帳のある銀行にします)に電話をして海
外小切手の現金化ができる支店を聞きます。
身分証明書を持っていきます。私の場合は法人での回収なの
で登記簿のコピーが必要でした。
で、8月分の小切手は8月末日で締め切られて、Google内で
のなんらかのチェック(多分)が入り、大体翌月の末日に届き
ます。今回は9月30日に届いたよん。
で、銀行に持ち込んで、大体25日ぐらいで入金となります。
また取り立て手数料は2000円です。例えば小切手をまとめて
持ち込んでもそれぞれかかります。
シティバンクで振り替えようと思い、大阪梅田支店で個人の
通帳は一度作りました。が、Googleとの契約が法人だったた
め結局使えずじまい・・・ 皆さんも気をつけましょう。
ちなみにシティバンクは法人で通帳は作れません。
参考に・・・
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家族を愛するってこと(2004年09月30日 13:27)
私は家族を愛すると言うことを子どもから学んだ。
勿論、小さい時から猫を飼っており、猫を愛していた。
が、それは可愛がっていたというほうが表現的に近いのと
対人間に関して愛するについて書き残しておきたい。
愛する。
良い言葉だと思う。人と相して愛するわけだよね。
私は物心つくまで、そしてついてからも父親から愛されて
いたと感じなかった。父親は表現が下手だったのだ。
父親はその父母から溺愛されていたらしい。お金持ちのお
坊ちゃまに育てられたようだ。男の子が欲しいと思いなが
ら、続けざまに女の子が3人。やっと産まれたのが私の父
だった。その後、妹が何人かと弟が1人いる。
その愛情は理由はわからないが父一人に向いたようだ。お
姉さん、弟でさえ父に愛情を注いだようだ。
その結果、父は30歳かで母(お嬢様であったらしい)と結
婚をし、生活力の無い夫婦が私を産んだ。
で、私は父から愛されていると感じなかった。
父親から「大好き」とも「愛している」とも言われたことがないし、父親に抱かれた記憶すらない。私の生まれたときから、アルコール依存だったからだ。
私が高学生ぐらいになってくると私自身が父親を連れて公園に行ったり、病院に月に1回ぐらい見舞いに行って、酒を飲まないように諭した覚えがある。だから、どちらかと言うと私が父のような関係であった。(表現は難しいが)
で、私は愛すると言うことが理解できなかった。
33の時、結婚をした。その人は私を愛してくれた。今の妻です。ありがたいことである。
私は妻を愛しているのは事実である。が、家族の愛(血のつながった愛)としては別問題である。
結婚して1年後に子どもが産まれた。男の子だ。2歳ぐらいまでは妻の子育ての配下にあり、私は何もしなくて良い。
勿論、泣けば抱くし、あやすが、まだ人格を持っていない以上愛する対象にはならなかった。
で、女の子が産まれる。長男が3歳ぐらいになり、長女が1歳。長男は私に対して愛を要求してくる。泣くことで・・・
長男が4歳、長女が2歳ぐらいになれば、長男が私が父であることを理解し、私がどこかに出かける時に行ってくるからと言えば悲しくて泣いてくれた。これが愛することだと感じた。
子どもを抱く。大好きだって伝える。そしたら、僕も大好きって応えてくれる。そう言った経験の中から家族を愛するってことを長男は教えてくれた。
子どもが産まれると子どもが中心の生活にもなってしまう。妻の愛情が子どもに向くようになり、私も子どもに向く。
現在は長男は小学校1年生、長女は保育園年中さん。両者とも私にとってかけがえの無い子ども達であり、それを支える家族の一員である。大切に愛していきたいと感じる。今の私の正直な気持ちである。
読んでくださりありがとう。
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アルコール依存の父親と暮らして(過去の話)(2004年09月30日 11:40)
小さい時から父親は酒飲みだった。酒を飲みに出かけているか、家で飲
むか寝ているか、又は病院に入院をしているかだった。
私は父親が入院していない時は、学校から家に帰って父親がどんな常態
かが一番気になることだった。ある意味いたら一安心。
何故っていなかったら、電話がかかってくる。近くの酒屋から引き取り
に来てくれであったり、道端で寝ているであったり、警察から、病院か
ら怪我をした。だったり・・・
チョー悲惨よ悲惨。笑
よくよく考えると早く病院に入院してくれないかな〜っていつも思って
いたような気がする。
だって、家にいたら酒持って来いっていったり、場所はとる(父親の居
場所)は家は壊すはめちゃくちゃだった。だったら、家にいないほうが
気楽だからだ。
母子家庭の保護を受けていて愕然としたのは中学校3年の時に先生に
言われた「夜間高校行くのか?」だった。そうか、我が家はお金が無
い家庭なんだってこと。社会通念上、お金を稼ぎながら学校に行く対
象になっていることだった。
でも、結局、何とかなって高校に入った。母親は月に10万円ぐらい
の収入があり、私も新聞配達でお小遣い程度は持っており、猫のご飯
代(猫2,3匹と常時暮らしていた)も稼いでいた。生活保護のお金も
あったようだし、父親の兄弟が援助してくださっていたようだ。
高校は工業の電気科に入った。自宅から一番近いのと手に職をつける
為だった。また、数学系が大好きだったので、電気なら向いていたと
言うのもあった。
父は死ぬまで酒を飲みつづけていた。酒が人生を駄目にしたと言って
も良い。ただ、酒を飲みつづけられて幸せだったのかもしれない。
とも感じる。だって、その大好きな酒を飲みつづけることができたの
だから・・・ ある意味家族の犠牲の延長で・・・
続く・・・
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子どもの時私は友達がいなかった?(2004年09月30日 11:10)
ちょっとタイトルのキャッチは重いかなって思いながら書いている。笑
私には友達がいたのだろうか・・・
友達の基準は人それぞれだろう。私の基準は楽しく遊べて悩みが
相談できて、その結果、解決の道を探ることができたりする関係
かな?
そう言った意味で高校生まではいなかったような気がする。
小学校の時に友達と遊んだ体験は家の前で近所の子ども達5、6
人で石蹴りをしたり、案山子をしたりしたのを覚えている。
・・・
いたな・・・ 友達いたいた・・・ 近所の私より1〜5歳ぐら
い下の子達を引き連れて野山で遊んでいたな・・・
クラスの友達だったら、小学校6年生の時にクラスごとに野球チ
ームがあって、人が足りない時だけ呼ばれていた。その子達の家
にも何回か遊びにいったな・・・ 友達には入らないけど・・・
中には私に興味を持ってくれて遊びに誘ってくれる子もいたな・
・・ いたいた・・
今日はそれを伝えよう。
中学生の時には放送部兼電気部と言うのに入った。電池に100V交
流電源をつなぎ爆発させたり、テレビのブラウン管ディスプレイ
にトランスを離れた場所から投げ、爆発(中が真空管なので衝撃
が起きるらしい)させて、空中にそのガラスを巻きちらしたり(
電気部は校舎の3階にあるので校庭に撒き散らされてしまう)し
た。
ある意味そんな馬鹿なことをやっていた時には友達はいたな・・
・
高校生の時にはサッカー部に入った。1年生の時の駅伝では区間
賞をもらうくらい早かった。一応、1年生の時は下積みでグランド
を走り回った。夏には合宿も経験した。それは友達だな〜。
3年生の時には生徒会に立候補し、書記もしたな。生徒会室が溜
り場になって最初の彼女もできたな・・・
そうか友達いたな・・・
続く
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長男(小6)の悩み 友達がいない・・・(2004年09月30日 04:25)
昨日、夜寝る前に長男から相談を受けた。と言うより、妻と長男が
話をしていて、パパお願いって引き継いだ相談だった。
今の長男は友達がいないことが悩みらしい。
昨日はバス遠足だった。で、友達で自由に班決めをして3人〜5人
程度で遠足先の動物園を見て回ったようだ。で、結局、同じ班(先
生が決めたのかくじ引きで決まった)の子(二人の名前は聞いた)と
一緒に見て回ったようだ。
多分、他の子の何人かは友達と呼ぶ(仲の良い)子達と班を作ってい
るのを見て羨ましかったのだと思う。
長男>パパには友達いる?
私>いるよ
長男>誰?
私>○○
長男>僕いないよ
私>いいじゃん。いなくても パパ小学生の時いなかったよ
長男>2年生になったらいた?
私>小学校6年生の時もいなかったよ。
長男>じゃ、いつできた?
私>高校生になってからかな〜
後、長男には伝えられないような心の描写になり、止まった。
学校の朝の朝礼を見ている。ある意味、学校の教えは、皆仲良く
友達になろう なんだと思う。ある意味、余計な教えかも知れな
い。だって、それによって長男は悩んでいるわけだし・・・
ただ、逆に言うと自分で考えるきっかけといろいろなしくみの中
で生きていくって意味では大切な教育なんだと思う。
ただ、面白いのは勉強は好きなようだ。
何がって、答えられるかららしい。別に教育ママ的な家族ではな
いが、毎晩,漢字の本や算数の計算の本を開いてやっている。
たまに一人で寂しくなるとパパ見てって寄って来る。100点の簡
単な問題の答案を持ってくる。
その時々で認めてあげ、褒めることで子どもは育つとも思ってい
るのでそのように接しています。
今日のご報告でした。
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